見えない何かがそこにある、見えない何かがそこにいる

執筆者: 体験 常磐竜胆 | 

2024-08-04 21:59

サムネイル:見えない何かがそこにある、見えない何かがそこにいる

そこに存在するはずのものを視認することができなくなる現象がある。
手に持っているものが見えないなんてことは日常茶飯事で、そんなことをいちいち気に掛ける市民は少ないかもしれない。
だが、「見えない歪み」は時として我々に危険をもたらすものになる。

例えば、「見えない車両や建築物との衝突事故」。
北の地へ移動しようとヘリコプターを操縦していた市民が、その直前まで見えていなかった何かに衝突し、爆発四散したという話がある。

例えば、「見えない心無き市民からの暴力」。
レギオン駐車場で仲間と話していたところ、突如、後頭部に鈍い痛みを感じる。
しかし、仲間は誰も殴りかかる動きを見せていなかった。
誰だと犯人を捜せば、そこには敵意を持った不可視の心無き市民が存在していたという話がある。

……

そして、歪みによって見えなくなるものはあなたの周りにあるものや人だけではない。
「あなた自身が他の人にとって見えないものになる」
そんな、恐ろしい歪みも存在するようだ。

例えばこんな話がある。
ある市民が山奥で負傷し救急隊に救助要請を出した。
しばらくして救急隊員がやってきたが、何故か彼らの声は聞こえない。
「ここに居る」と、力を振り絞って出す声も彼らには届いていないらしい。
やがて応援の救急隊員も駆けつけ、なんとかその市民は救助された。
話を聞くと「あなたの姿が見えなかった」と告げられた、という話だ。

「見えない歪み」は時として、人命に関わるような深刻な状況を招くことがある。
これらの歪みのうち、「見えない患者」問題の解決のため、救急隊と市による共同調査が開始された。
救急隊が「見えない患者」の歪みに遭遇した際に、一旦現場を離れるなどの検証が行われる。
患者としては、痛みに耐える時間が長引いたり、救急隊員が立ち去ってしまうことに心細さを感じたりすることになるかもしれない。
しかし、歪みの根本解決に至らなければ被害者は増える一方だ。
一刻も早い救助を求める気持ちは重々承知の上ではあるが、街の為、救急隊の調査に協力していただければ幸いだ。

……


ところで、筆者は時折、目には見えない何者かに見られているような感覚を抱くことがある。
確かに、そこにいる何者かが私たちのことを観測しているような気がするのだ。

その視線を感じるとき私は背筋が伸びる。

「この街で、私は私としてしっかり生きることができているのだろうか」
「ああ、きっと上手くやれているはずだ」

刹那の自問自答の後、何事も無かったかのように私は私の人生に戻っている。

目に見えないからと言って、そこに何もないとも限らない。
大事なことは見落とさないようにしたいものだ。

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